[ショートショート]病院の食堂

書き物

彼女はいつも微笑んでいる。

私はそう思い込んでいた。だがそれは違った。

彼女は顔が微笑んだままの状態になってしまう病気だったのだ。

私がそれを知ったのは私がこの病院に入院してから15日目の朝だった。


どうやら彼女とは病棟は別らしかった。

この病院に食堂があった。軽度の入院患者はそこまで自力で歩いていき、食事をとった。

食堂は私の入院している病棟の隣だったが、食事の帰り際にいつも彼女を見かけた。

顔が微笑んだままになってしまう病気(正式な病名はわからない)はこの病院では軽度とは見なされないらしい。

彼女はいつも微笑んでいる。まあ、よく考えれば微笑むことしかできないのだけれど。

彼女の病気のことは黒メガネが教えてくれた。彼は私が食堂で食事をするようになって三日目くらいにたまたま隣になって話をするようになった。確かフットボールのルール改正の是非で意気投合したか何かで。

黒メガネは彼女の病室の隣に入院していた。一回り上の女に振られて落ち込んで病院に行ったら入院をすすめられたらしい。でも彼は食堂に毎日食事を摂りにきている。まあ、その程度の症状ということだ。

心が微笑んでないのに微笑んでいると思われるってどういう心境だろう?

彼女の病気を知ってからそんなことを考えるようになった。

でも一方で私は救われたような気もした。

微笑んだまま、ということは、この病気になる直前に彼女はきっと楽しい、嬉しい、幸せな体験をしたのだろうと。

それがきっと心にも顔にも焼き付けられたのだろうと。

彼女の病気を知ろうが知るまいが、彼女の微笑はそれを見る人々に慈悲を与えた。私もそんな人間の一人だ。

私が彼女の病気を知って7日後、黒メガネの姿をパッタリと見なくなった。

自殺を図ったらしい。命を落としたのかどうかはわからないうちに、彼の話題が上がることはなくなってしまった。食堂に通ってもいい程度という診断を下した医師、病院の面子というのもあるのだろう。

その出来事のあとも、食堂からの帰り道に彼女を見かけたが、心なしか表情が変わっているような気がした。いやまさか。微笑であることにはかわりはないのだが。

そして黒メガネの騒動から10日くらいが経った日に私は医師からもう食堂には行かなくてもよい、と告げられた。

■最初の一行ショートショートとは

最初の一行(一文)をお題にしてショートショートを書く試みのことです。

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