【書評】モレスキン 人生を入れる61の使い方

人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、
何を記憶しているか、
どのように記憶して語るかである。

ガブリエル・ガルシア=マルケス
「モレスキン 人生を入れる61の使い方」P.3

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先日のエントリー
本が出ることになった。

にてお知らせしたとおり、オヤ辞林モレスキンをモレスキン本第二弾「モレスキン 人生を入れる61の使い方」にて掲載頂くことになり、先週見本という形で私の元にモレ本2が届いた。献本御礼。

今月から読書を再開しようと思っていたところへのこの献本。大好きなモレスキン、そして何より自分を掲載頂いたということで、復活読書・書評にはもってこいである。

昨日、ようやく一通り読み終えた。読む、というよりはモレ本2という美術館をまずは一通りくまなく歩いてみた、という表現がしっくりくるだろうか。まだ所蔵されている作品の細部を一つ一つ見る、というところまではいかない感じの読了加減。

サブタイトル「人生を入れる61の使い方」とあるように、60人の方々(以下MLK61)の使い方は同じモレスキンユーザという視点では、それぞれが非常に個性的で、「これは私も取り入れてみたいなあ」というエッセンスがあったり、「これはすごすぎてとても真似できないわあ」といういい意味での凄さを感じたりした(MLK61といいつつ60人と言っているのは自分自身を抜いているため)。

私が強く感じたのは、MLK61の方々は「モレスキンに人生を入れる」ということを続けたが故に、むしろモレスキンが人生を体現するようになっているのではないか、ということ。

もちろん日々の出来事、それに対する思いを記録、記憶させていくことはモレスキンではないノートでも出来るし、むしろモレスキンよりできるかもしれない。デジタル・アナログ問わず。

しかしながら、使い込んでいくうちに記録する対象そのものが人生を体現しうるということはなかなかないのではないだろうか。

モレスキンはその可能性を秘めているノートであると思うし、そう思って今まで使い続けてきたつもりである。時代に逆行するかのような重厚感。かつての文豪や芸術家が使っていたという歴史。

私のオヤ辞林は人生を体現している、とは到底言えるものではないが、それでも自分の人生の「一部」であることは間違いない。だからこそモレスキンに言葉遊びを一つ一つ記録しようと思ったのだろう。オヤ辞林の最終目標はその名の通り、書店の辞典・辞書コーナーに陳列される形での出版であるが、モレスキンに記録することを続けていくことで、辞書めいたものができあがってしまうのかもしれない。

とは言ってみたものの、この本に掲載されている使い方はモレスキンに限らず、なにをどうやって書き留めていくかということについて非常にバリエーション豊かな実例が紹介されている。モレスキンユーザ、モレスキンをこれから使ってみようという人、そして他のノート愛用者にとっても、それぞれのインスピレーション、記録・記憶にたいするモチベーションを掻き立ててくれることは間違いない本である。

よほどの有名人ではない限り、自分の人生を他の人が記録し、後世に残してくれることはそうないだろう。後世に残すということはともかくとして、自分がいつか自分自身の人生を振り返るであろうその時のために、自分自身でなにかしら記録しておくということは必要なのだ。そして将来自分自身の人生を振り返るであろう自分、というのは、それまでになにかしら記録してきた自分によって形成される、ということをこの本は気付かせてくれた気がする。

そして皆さんにとってもそういったきっかけを与えてくれる本になっているはずだ。是非お手にとって頂きたい一冊である。

あとがき
嬉しさの余り下書きも推敲もせずアップしてみた。たまにはわけも分からずに小難しいことを言いたい、書きたい夜もあるものだ。

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