ぼくたちは「好運なツアー」のまっただ中にいるのだと仮定してみる。
生きていて仕事や趣味に熱中したり、
鼻唄を歌ったり、
スポーツで汗を流したり、
よく晴れた日に川辺の道を散歩したり、
音楽に合わせて踊ってみたり、
友達とお酒を飲みに行ったり、
恋人と海を眺めて過ごしたり、
いろんな気持ちになったり、
誰かの気持ちを感じたり。そういうことはたぶん奇跡的なことで、
とても好運なことだ。
ところが日常生活を送っていると、
なかなかその好運に気付くことができない。
分けもなく腹を立てていたり、
人の悪いところばかり目についたり、
自分のネガティブなことばかり気付いたり、
あきらめて、めんどくさいことはなるべくやらないようにして、
なんとなく楽なほうに流れていってたりする。ぼくもそういうところがいっぱいある。
人間ってたぶんそういう生き物だ。身近なところに突然自分の死が現れると、
初めて生きていることの好運に気付く。
そしてその好運を生かそうと行動し始めたりする可能性だってある。
黒澤明の「生きる」は、そんな映画だった。命があって身体が少しでも動けばそこからなんでも始められるではないか。
人は誰も「好運なツアー」の最中なのだと仮定してみる。
走る車のウインドウを開ければ風を感じることができる。でも人はその好運を忘れてしまう。
これを忘れかけていた。年が明けてすぐ、これをなぜか思い出した。
目の前で起こった出来事ばかりに目がいって、こだわり、とらわれていた自分に気がついた。
そして今日、私の好運なツアー2012がはじまった。
昨日は子ども達と22時に寝オチし、10時間以上寝て起きたのだが、そんな間に振り返りエントリーで小生の名をあげてくださった方が二人も!
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昨年は多くの方々と繋がらせてもらったので、昨年後半は自分も誰かと誰かを繋げるという思いをもっていろいろやってきたつもりだった。それがこのような形で反応をもらえるということは嬉しい限り。
私にはこれといった特殊技能がないので、せめて人と人とを繋げるジョイントになって、さらにそこから新しいモノよいモノが生まれてくれればいいなあという気持ちで今年もやっていきたいと思っている。
ぼくたちは「好運なツアー」のまっただ中にいるのだと仮定してみる。
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