[エッセイ]往復書簡2.0~Evernote死後共有ノートブックとか~

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志賀直哉:未発表の書簡発見 新聞小説に苦手意識- 毎日jp(毎日新聞)

昔は当然紙でやりとりされていた書簡。

今の時代、それらはメールだとかブログ上だとかSNS上でやりとりがなされることがほとんど。ノートとかメモすらもデジタルな時代。

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今から50年後、60年後、次世代以降の人たちにこういうやりとりが発見されるってことをふと考えたのだけど、

「稀代の文豪があんな顔文字をwww」

「出、出たーwwwブログはびっちり書いてたけど個人的なメールはア○ブロみたいにめっちゃスペースあける奴www」

とか思われるんだろうか(私はめっちゃスペース開けていない。あしからず)。

というのは置いておいて、紙でやりとりされている限りは、冒頭の志賀直哉のように人の手によって掘り返されたりすることがあるのだろうけど、Webサービスはある程度セキュリティがかかっているので、後年発掘というわけにはいかない。(だれかにパスワードとかを言付けてたらそれはそれで別だけど)

我々が今こうして記し、Web上に残されていくもの(公開、非公開にかかわらず)は後世の人々の目にはどう映るのだろう。そして非公開モノが日の目を見ることはあるのだろうか。

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死をトリガーにした公開・共有

往復書簡とはまた違ったものではあるが、例えばEvernoteとかで「死後に共有・公開するノートブック」とかがあって、その人の死をトリガーとして、それらが誰か特定の人に共有、あるいは全世界に公開されるというサービスがあったりすると面白いなあとか。

Evernoteのコンセプトは「すべてを記憶する」。それはその人の中でのお話だけど、こういうアイデアまで話を広げていくと、個人の中だけであった記憶の枠が広がる。生死という枠すら越える。

記憶という観点だけで言えば、その人は生き続けることになる。生きている間はその人の中だけにあったものが、死をきっかけに開かれることによって生き続ける。屍を越えた記憶。

死をトリガーにする、ってところをどう判断してどう発動させるかは難しいところだけど。あとは本人が「死後に公開・共有を望んでいたのか」というポイントもあると思う。

全然関係ないけど、志賀直哉が「一人で城之崎行っちゃうなんて、ぉこだよ♥」とか書いてたりしたらそれはそれで面白い。

あなたの心の志賀直哉、@sta7kaでした。

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